モネの絵の中を歩く

この庭は、モネがこよなく愛したフランス・ジヴェルニーの庭をモデルに創られています。
色とりどりの睡蓮とゆらめく水面、太鼓橋や藤棚、バラのアーチ、混ざり合う光と花の色…
庭を散策すると、彼が描いていた風景をかいまみることができます。
水鏡に映る木々や草花の美しい様子は、北川村のまぶしい光と青い山海を背景に
四季折々の自然模様を描きだし、草木の成長とともにその姿を変えていきます。

モネの作品:Femme à l'ombrelle tournée vers la gauche

“光の画家”モネが描いた理想の庭

印象派の巨匠クロード・モネは、列車の窓から見たジヴェルニーの景色の美しさに心奪われ、43歳でフランス北部にあるジヴェルニーに移り住みました。そして、セーヌ渓谷の肥沃な土地に、理想の家と庭を作りあげました。

ジヴェルニーの庭は彼の創造の源泉となり、「睡蓮」などの多くの名作を生み出す舞台となりました。 北川村「モネの庭」マルモッタンは、この庭と家をクロード・モネ財団の指導を仰ぎながら、彼の精神と共に再現したものです。

画像:モネのポートレイト

モネの生涯

クロード・モネ(1840〜1926)

印象派の巨匠クロード・モネは、1840年11月14日パリのラフィット街に生れます。少年時代はノルマンディの片田舎で過ごし、その恵まれた自然によって風景画に対する情熱を得ますが、経済的理由により、セーヌ河口の港町ル・アーブルへ移住。1859年パリの自由画塾アカデミーシュイスとシャルルグレルの画塾に入ります。1874年ルノワール、シスレーらと「画家・彫刻家・版画家・無名芸術家協会」を結成、新しい画風による製作を試み1880年に官展入選、初めての個展を開きます。日本の浮世絵に興味を持ち、コレクションを始めたのもこのころです。この仲間達との展覧会に出品した「印象・日の出」というモネの作品名から「印象派」といわれるようになりました。

1883年にジヴェルニーに居を定めて、庭づくりと創作活動に励み晩年には名声を得て裕福な生活を送ります。白内障に苦しみながらも、死ぬ間際までオランジュリー美術館に展示されている大連作の「睡蓮」を制作し、1926年12月5日86歳でこの世を去ります。

自然をこよなく愛したモネと
ジヴェルニーという理想の場所

ジヴェルニーの庭は“光の画家”モネの創造の源泉とも言える存在でした。
モネは自ら草花や木の種類を選んで庭に植えていました。
それはまさに自分のキャンバスの上に絵を創作するのと全く同じで、
後に「まるでパレットのような庭」「生きた美術館」と評されました。
彼はこの庭に3つの温室を建て、6人もの庭師を雇い、世界中から(もちろん日本からも)珍しい植物を集めるなど、大変な情熱を傾けました。実は多くの名作を生んだこの庭こそ、モネの最高傑作だったといえるのかもしれません。

モネの絵画:黄色い花の咲く景色 写真:北川村「モネの庭」 で黄色い花の咲く景色
道楽や目の保養のためばかりでなく
絵の題材として庭を作りたい

ジヴェルニーモネの庭
公式ホームページ

ジヴェルニーのモネの庭
ジヴェルニーのモネの食卓

ジヴェルニーに移り住んだモネは手紙の中でこう語っています。
「私は歓喜に酔っている。ジヴェルニーは私にとって最高の場所だ。」
理想の庭園を造り、美食を楽しみ、そして数々の名作を生み出し続けたモネは、
生涯を閉じるまでこの地を愛しました。

アトリエで睡蓮を描くモネ
ジヴェルニーのモネの庭
ジヴェルニーのモネのキッチン

モネと浮世絵

浮世絵は、モネをはじめルノアール、ゴッホ、ドガなど多くの印象派の画家達にインスピレーションを与えました。浮世絵の色使いや構成が、彼ら西洋の画家達を魅了したのです。北斎、広重、歌麿、モネは1870年頃から浮世絵のコレクションをはじめ、その生涯を閉じるまでコレクションは続きます。ジヴェルニーの家には、今もすばらしい浮世絵コレクションを見ることができます。また、浮世絵の影響は作品の中にとどまらず、庭の睡蓮、藤の花、太鼓橋、そしてキッチンやダイニング、読書室などのインテリアは浮世絵の色使いに合わせてデザインされました。

ごあいさつSTATEMENT

北川村「モネの庭」マルモッタンは、印象派の巨匠クロードモネが43歳から生涯の半分を過ごした、フランス・ジヴェルニーで丹誠込めて作り上げた〈モネの庭〉を再現した庭として2000年に開園しました。

1999年以前、北川村は新しい道を探していました。北川村の更なる発展のために、工業団地誘致という構想から180度の方向転回をし、多くの障害を乗り越えて、フランス・ジヴェルニーとの交流が生まれ、奇跡の北川村〈モネの庭〉作りへとつながりました。
そして、1999年。アカデミー・デ・ボザール終身書記アルノー・ドートリヴ氏から、それまでは門外不出であった〈モネの庭〉の名称をいただく事となったのです。しかし満足できる庭作りの為には、その後もいくつもの新たなハードルを越えていかなくてはなりませんでした。そこには、本家モネの庭の庭園管理責任者であるジルベール・ヴァエ氏のアドバイス無くしては現在のモネの庭になることはできませんでした。

北川村「モネの庭」マルモッタンでは、環境問題についても取り組んでいます。極力、農薬など使わず、人のチカラで病虫害から花・木を守ることで次世代に悪影響を残さないように努めています。また地域への貢献を深め、地域とともに発展していく場所として、教育や地域産業への取り組みも進めています。
クロード・モネが愛し育んだ思いを胸に、手をかけ作り上げた北川村「モネの庭」マルモッタン。ここで過ごされる時間が、皆様にとって華やいだり、安らいだり、素晴らしい思い出となれば幸いです。私たちも花や庭の美しさに負けない接客で快適にお過ごしいただけるよう心がけ、皆様をお迎えしてまいります。

北川村「モネの庭」マルモッタン

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